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岡村 高志 マネージャー 『心で走る』
2007年12月17日 (月) 
陸上を始めたのは、小学校の校内マラソン大会からでした。そのために朝早く起き走っていました。校内ではトップでした。

また野球のクラブチームに所属していましたが、今思えば上手くなく、足が速いから自然と陸上がいいと思うようになり、中学は陸上部に入りました。

京都の中では、強い学校でした。2年の時、駅伝の選手選考で外されました。その理由を先生は「普段の練習で決めた」と。最後の調整のタイムトライアルまで競い合っていました。結局、普段の練習から前を走っていた先輩が選ばれました。私は2年という立場もあり、遠慮して練習は後ろで走っていました。悔しくてそれから取り組む姿勢が変わりました。

チームは京都府大会を優勝、外された翌日から、ウォーミングアップから最後のクールダウンまで、全て先頭で走りました。悔しい一心から我武者羅にやりました。
その甲斐合って近畿大会のメンバーに選ばれ、翌年3000mで京都のチャンピオンにもなれました。

中学生ながら勝負の厳しさ、楽しさ、達成感、走ることの醍醐味を感じることができ、そのとき、陸上は心で走るものだと学びました。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
  「自分自身、何が変わったのか」


マネージャーをすることで人生が変わりました。

マネージャーを始めたのは、大学2年の時です。大学の監督からやってみないかと誘われたのがきっかけです。最初は御断りしました。自分の時間がなくなるし、また何より走りたかったからです。

高校の三年間は故障で、不完全燃焼で終わりました。何の実績もない私は高校の先生のお陰で有難くも大学に進むことができました。走るチャンスをいただいたと受け止め、高校の時の走りたくても走れない思いがあり、また今までお世話になった方々に恩返しをしたいという気持ちが強かったからです。

大学1年の箱根駅伝が終わってから決心しました。マネージャーの手伝いをやって、重要性、大切さを学びました。「自分が4年になったとき、誰がこの仕事を?」と考え悩んだ末、人のためにやらせていただこうとマネージャーになることを決めました。

しかし4年の主務(マネージャーの長)になるまでの間、走りたいという気持ちがなかなか抑えられなく、時間を見つけては走っていました。

そんな中、ある先生に「君の走りたいという気持ちは、主務をやる上で雑念になる。徹しきれない」と。本当にそうなのかと自問自答「マネージャーの仕事をして、選手の練習も見て、間の時間で走っているのに、どこがいけないのか」と。

結局、自分が走るということは、自己満足の世界。私が走っても、チームの成績には影響しない。マネージャーの仕事とは、自分のことは置いておいて、選手優先でやるもの。走るというのは自分中心のこと。自分中心の考えでは、マネージャー業に徹しきれないと気付かせていただきました。

それから走ることへの考え方、価値観が「人より強くなりたい」と思って走っていたのが、「好きだから走る」に変わりました。今でも、健康ランニングをしています。

今、選手は15人です。100人メンバーがいた大学の頃と労力は変わりません。マネージャー業は大学時代とベースは同じですが、違いは、社会人は責任があるということ。仕事をしたことにより給料を受けとります。それだけ重みがあります。

今、若い世代のスタッフが、先が見えて辞めていきます。でも、私はこの世界で生き抜いていきたいと思っています。

この仕事は、走ることと同じくらい好きです。

白水監督に言われて背筋が凍ったことがあります。「替わりはいくらでもいる。」ぐさりと刺さりました。何か力をつけないといけないと思いました。私はオリンピック選手でもない、実績のある選手でもない。何もありません。
マネージャーは、その気があれば、誰でも3年間で事務的なことができるようになります。それだったら、私でなくてもいいわけです。
どうすれば良いか悩んでいた時、監督から「スカウトをやらないか」と背中を押して下さいました。

将来の夢は、世界で通用するトップアスリートを育てること。まずは、職人肌で、懐が深く大きな白水監督の一挙手一投足を見て聞いて盗みたいと思っています。そして目の前の事象をひとつでも多く吸収して、自分のオリジナルを創っていきたいです。

高校では「人間性=競技力」、大学では「スポーツとは、感性を磨くもの」、現在は「仕事とは、結果を残すこと」と教えをいただきました。
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