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2007年10月のエントリ
2007年10月31日 (水) 
梅野大地の大地は、ソウルオリンピック100m背泳ぎ金メダリスト・鈴木大地さんのように活躍してほしいという願いを込めて、両親がつけてくれた名前です。

小学校の頃は、もちろん水泳を習いました。剣道もやっていました。しかし水泳では勝てませんでした。剣道ではすこしは勝てましたが、陸上ではもっと勝てたのです。
でも、一番の理由は仲のいい友だちが陸上を始めたからです。

中学高校と陸上ばかりやってきました。自分にとってはこの6年、一生懸命走り続けて実業団に入りました。6年間やってきた結果、自分に可能性を感じる限り陸上から離れる生活というものが考えられなくなっていたからです。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


高校時代は楽しく走ればいい、そのためには速くなろうと思う程度でしたので、今まで真剣に悩むようなことはありませんでした。

でも今は、緊張感が出てきました。走らなきゃという気持ちがずっとあります。あせりもあります。そのため、陸上のことについて悩むようになりました。
このままじゃダメなのは、分かっています。今の結果じゃダメなのは、分かっています。

そのために何をしたらいいのか考えます。ただ、考えすぎると疲れるので、そんな時は、考えるのをやめて、ぼーっとして過ごしています。

日清食品には、速い選手がたくさんいますが、考え方や理想は一人一人違います。
間近で見たり、聞いたり、感じたりして、刺激を受けています。
陸上選手としてこんなに幸せなことはありません。
この環境をものにしない手もありません。

学校でも部活でも家族の中でも、これまでは人任せでしたが、今は、何でも自分でやろうとするようになりました。
掃除をやりだしたら止まらないということに初めて気付きました。部屋はかなりきれいです。


■印象的なレースとこれから

陸上を始めたばかりの中学1年の時、中体連の市内大会1500mで優勝したのが、とてもうれしいレースでした。

これからですが、陸上選手としても、人間としても、気遣いのできる大人になっていきたいです。

まずは、5000mで自己ベストを更新したいです。毎年自己ベストを更新するんだという気持ちで頑張ります。先輩方に追いつけ追い越せで、同じレベルで戦えるようになりたいです。

とにかく、練習するしかありません。練習をして自信をつけたいです。
10月の終わりからは今までやっていなかった距離走など新しいことにも挑戦します。
そして効率のいい走りを身につけたいです。
2007年10月30日 (火) 
“スポーツで食べていく”って決めていました。小学校6年の時からです。

小学校の頃はサッカーをしていました。他にも、水泳、体操、バスケ等、いろんなスポーツをしました。勉強よりスポーツが好きでした。

また、走るのが好きな父の影響で、市民マラソンには父といっしょに出場していました。
小学校6年の時、SBちびっこマラソン大会に出場しました。1番だったら東京に行けるということで、家族旅行を計画していたのに、兵庫県大会は2番でした。泣きました。大阪大会でも2番になりました。この2番が陸上を始めるきっかけとなり、中学校から陸上を続けています。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


仕事として走ることを選びました。だから、僕には結果を残すという責任があります。
走ることが中心の生活です。いつでも走ることを頭の隅に置いて生活するようになりました。
どうしなきゃいけないか。どんな練習をしなきゃいけないか。次の試合までどう体をつくるか。考える方だと思います。
考えすぎると眠れないこともありますが、以前より周りが見えるようになりました。

大学の頃は、監督が言わない人なので、キャプテンだった自分に任されていました。
だから、後輩たちにガミガミ言ったりして、怖い存在だったと思います。
今は、いいのか悪いのかわかりませんが、まるくなりました。

高校大学と順調にきていました。だから、昨年は苦しかったです。
練習の苦しさより、練習できない苦しさがわかりました。
今までは走れない人の気持ちも分からなかったのですが、よく分かりました。


■印象的なレースとこれから

高校1年で出場した1997年の第48回高校駅伝が忘れられません。5区を走り区間賞でした。西脇工業は3区から7区まで区間賞で、高校記録を樹立しました。
この走りは、親への感謝の気持ちでした。というのも、高校では、親元を離れて寮に入っていました。なかなか家にも帰れず、心配をかけていました。走る姿しか見せられなかったのです。元気に活躍する姿をどうしても見せたかったのです。

これからですが、見ていて感動する走りをしたいです。
僕、涙もろいんです。高橋尚子さんが復活を遂げた東京マラソンなど、スポーツをみていると、感動して泣きそうになったりします。

もうすぐ、駅伝です。駅伝優勝を導くために活躍して、白水監督を胴上げしたいです。

夏もいい練習ができましたし、秋の合宿でも走れています。期待してもらったのに走れなかった昨年の借りを返したいです。今年の駅伝で結果を残すために、課題を1つ1つクリアーしていきたいと思います。
2007年10月29日 (月) 
徳本一善が、昨年に引き続き、「第39回全日本大学駅伝対校選手権大会」(熱田神宮~伊勢神宮)の1号車ランナー解説をいたします。どうぞご覧ください。

*2007年11月4日(日) テレビ朝日 8:00~13:40(生放送)
2007年10月29日 (月) 
一切人を信じないで生きてきたので、疑問を感じながら走ったことはありません。疑問を感じたらやりません。

どうしても、人に対して疑うことから入ってしまいます。なかなか気を許すということはありません。

それでも、社会人になって、人の話を聞くようになりました。いいことはいいと認めるようになりました。

世界で戦える選手になるには、監督を信じることだと思います。それだけのノウハウをもっているし、信じられる人がいるって、それだけで力になります。ここまでくるのに時間はかかりましたが、監督は信じられる人です。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


勢いがなくなりました。その分、冷静に対処できるようになりました。

学生の頃は、モチベーションを上げる手段として茶髪にしたり、サングラスをしたり、格好から入って自分を追い込んでいました。自分が思ったことをそのまま口にして、大きいことを言っていました。陸上しか知らなくて、我慢したことがありませんでした。

今は、社会人としての責任という部分が自分の中で大きくなり、思い切ってできません。我慢することも覚え、まるくなりました。

勢いをつけるために、そろそろ学生の頃の気持ちに戻るのもいいかなとも思います。

それから、学生の頃、勉強しておけばよかったと思います。今、挑戦していますが、苦労しています。でもやらないと始まりません。努力と勉強と培ってきた競技力で、陸上の世界で活躍していきたいです。


■印象的なレースとこれから

大学2年の時、箱根駅伝の1区を区間賞で走って、世界が変わりました。周りの対応が全然違うのです。宝くじにあたったみたいでした。良くも悪くも違いました。

今の自分はその時より確実に強くなっているのに、箱根の自分を気にしているのかもしれません。その時のイメージを超えられるくらいの成績を残したいと思っています。

そのために、人がすごいと思う練習を自分では余裕で、当たり前にやりたいです。「徳本の練習はすごい」と言われるトレーニングをしたいです。

みんな気になっていると思います。誰が何をやっているかを見ています。自分の力では限界だと思ったり、まねしたり、いっしょに同じメニューをやってみたり、メニューをアレンジしたりしています。

“自分で盗んで、アレンジして、自分のものにする。”それが“自立”だと思います。

マラソンを成功させて、堂々と“マラソンランナー”といえるようになりたいです。
練習はきついです。こんなにきついことはありません。でも、走り続けるのは“世界で戦える選手になりたい”という夢があるからです。中途半端になりたくないので、そのための努力は惜しみません。
2007年10月26日 (金) 
走ることが楽しいと思ったのは中学の時です。
毎日親友の相澤君と秘密トレーニングをしていました。

部活でサッカーをしていたのですが、ある日、相澤君とPKをしているときに、痩せないとよいプレーが出来ないと思ったのです。それからは毎日、練習が終わってから、いっしょに走るようになりました。相澤君は自転車でしたが、僕は走っていました。

コースは、地元色麻町にある、保科・相澤ロードの10kmです。そして、中学校で行われる『かっぱ杯争奪こいのぼりマラソン大会』、その半年後の色麻町内運動会の『21世紀への道』で、優勝することができました。見事2冠達成で色麻町マラソン王に輝きました。

『あゆの里マラソン大会』では終わった後に、豚汁とひとめぼれという米のご飯がでます。それがとっても美味しくそれを目的に走ったこともありました。

このとき、「走ることってとっても楽しいことなのだ!」と思ったことが、これまでの成長につながったのだと思います。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


陸上のことは真剣に考えます。
学生の頃も考えていましたが、もっと真剣になりました。

学生の頃は、ムラがありました。陸上が1番の時もあったし、友達と遊ぶ方が楽しかった時期もありました。今は完全に陸上一本です。

今年の夏は故障し、走れなくて苦しみました。何よりも精神的にきつかったです。
故障をしたら、何がいけなかったのか、考え込みます。眠れないまま朝になることもあります。でも、走らないと解決には至りません。落ち込んでも、明るくするようにしています。

試合中は強気で、途中で負けると思ったことはありません。せっかちなので、目先の試合で頑張りすぎてしまいます。記録会でも100%で臨み、そこでベストを出したいと思ってしまうのです。

先日の練習でも、ついつい飛ばしてしまいました。いざ練習が始まると、タイムを追ってしまいます。気付いているのに押さえられず、体が勝手に動いてしまうのです。

目先の事だけでなく大事なところで結果を残せるよう、1年間トータルで考えられるようになること、それが課題です。


■印象的なレースとこれから

高校では渋谷先生に出会い、ただの『かっけっこ』とは違う、『陸上競技』の面白さを教えて頂きました。高校3年の東北駅伝では、仙台育英に勝って優勝しました。

大学では、別府監督の下、1年の時から積極的に試合に出させて頂き、1年の時から駅伝ではエース区間を走りました。

大学2年の時、仙台ハーフで優勝、関カレ10000mで優勝、全カレ10000mでは日本人トップでした。
そのとき、『自分は強い』と勘違いをしてしまい、あまり練習をせず、ムダな時間を過ごしてしまいました。結果も出ませんでした。しかしその時期は、自分にとって成長するきっかけになりました。練習をしないと強くなれないと思うことができたからです。

これからは、マラソンをやりたいです。
北海道マラソンを見て、感動しました。北海道マラソンの直後に白水監督に言いました。白水監督は真剣に聞いてくれました。うれしかったです。

高見澤さん、ギタヒさんも苦しんだ時期があったと聞いています。高見澤さんは『調子どうですか?』と聞くといつも笑顔で『絶好調』と答えてくれます。苦しくても周りにはそれを感じさせない。そういうところも尊敬出来ます。苦しんでいても、頑張ればなんとかなるんだって思いました。

足が速くなりたいです。頭も良くなりたいです。身長も高くなりたいです。体重は重くなりたくはありません。寝坊もなるべくしないようにします。

一生懸命走ります!期待してください!
2007年10月25日 (木) 
世界陸上大阪大会から1ヶ月後に、諏訪利成(アテネオリンピックマラソン6位、世界陸上大阪大会マラソン7位)が、マーラ・ヤマウチ選手(現役外交官にして、世界陸上大阪大会マラソン英国代表9位)と対談しました。

その模様は、10月22日発売の「ランナーズ12月号」p41~44に、掲載されています。

(写真提供:マーラ・ヤマウチ選手)
*お祭りみたいに楽しいロンドンマラソン(2005年)は、両選手ともに好印象の大会でした。
2007年10月25日 (木) 
昨年の夏くらいから、自分のことがわかりだし、ある程度やれました。
自信と経験になりました。

でも、昨年出た結果によって、欲が出て休めませんでした。
故障はつきものですが、ごまかしごまかしやっていて、結局長引かせてしまいました。
いいときほど考えないといけないと思いました。

最近、ようやく復帰の手応えを感じ始めました。今年はここまで走れていませんが、お世話になった人の為にも、今年度の結果を残したいと思います。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


今思えば、学生は社会人になるための準備期間でした。

駒澤大学では1から8くらいまで、ほとんど言われたことだけをやっていたように思います。
日清食品では、1言われて、あとは自分で考えてやります。
だから180度違います。正反対です。
自分のやり方をつかむまでに1〜2年かかりました。

自分は長距離という競技は、考えないと伸びないと思います。
行き詰まったときに突き破るには、「考える、実行する。」それしかないと思います。

また、入社当時は、駅伝のメンバーに入ること、「なんとか6番目に入れればいいな」と考えていたように思います。
でも今は、主要区間をいかにどう走るかということを考えています。


■印象的なレースとこれから

印象的なレースは、トラックレースでは大学4年(2002年)の全日本インカレです。
10000mで優勝しました。

駅伝では、大学3年の全日本大学駅伝です。
2年の時に大ブレーキをしてしまいチームが2位と負けてしまいました。
翌年、同じ区間を走って、区間新とキッチリ走れたのでよかったです。

日清食品では、昨年、10000mで自己ベストを更新しましたが、まだまだだと思います。練習あるのみです。

そして、人の印象に残るような選手になれるよう、結果を出したいです。
目の前の駅伝だけで一喜一憂しないように、自分の戦うステージを上げていきたいと考えています。
2007年10月24日 (水) 
ニューイヤー駅伝2007を走れなかったのが、ショックでした。
12月に故障をして、5000mの調整で、離れてしまいました。
何してたんだろって感じです。焦点を合わせてやっていたので、ショックです。

これまで、大学2年の箱根駅伝3区区間賞をはじめ、大学の駅伝は全部走っています。
1年目の東日本実業団駅伝まで走ったので、ニューイヤー駅伝は初めての補欠でした。

基本的に故障はしないのに、昨年は、故障しました。自己管理が甘かったのだと反省しています。
故障は調子がいいときにします。動きが良くなりついついやりすぎてしまうからです。
逆に、調子が悪いと動きも悪くなり練習もこなせなくなるので、故障しません。

調子がいいのと故障するのは紙一重だと思うので、自分と対話できる人が成功している人なのだと思います。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


大学では、決められたことをやっていましたが、日清食品は自立のチームです。

白水監督はやれとはいいません。
試合でうまく走れないのは、自分の責任です。試合でどうするかも任されています。

試合までどうしたらいいかはバランスが大切なのですが、まだうまく調整できていません。
難しいです。失敗して学ぶことの方が多いです。

大学の練習と白水監督の練習の組み方は違います。
大学は走り込み中心の練習ですが、白水監督の練習はスピード中心の練習です。
ニューイヤーと箱根では走る距離が全然違うので当然といえば当然なのですが…。

例えば、大学では1週間のうち1回に対して、今は、1週間に3回やる時もあります。
スピード練習が1回だったのが3回になったら単純に、3倍です。
それにスピードの質が高いのできついです。

練習は嫌いじゃありません。練習でも粘り倒します。
自己記録を確実に更新して、試合でしっかり結果を残すためにも、練習で自信を付けたいと考えています。

試合での調子は、8割くらいで持っていった方がいいと考えていますが、ついつい頑張ってしまいます。調整力が課題です。


■印象的なレースとこれから

マラソンをやりたくて日清食品に入りました。
日清食品でなければ、陸上をやめていたかもしれません。
日清食品は僕が理想としていた企業なので、声をかけてくれた監督にとても感謝してます。

高校は自由、大学は管理体制、どちらとも経験して、これからは、自分で考えて競技をしていきたいと思いました。

2月には、初マラソンとなる東京マラソンに出場する予定です。
今年、30kに出る予定でしたが、監督から、「今年やってみるか」と言われました。

周りは意識せず、自分なりの目標を決めて走ります。
マラソンとはどんなものか、走ってみないとわからないですから。

マラソンのために、夏は、長い距離、長い時間を走りました。足を作るためです。
初マラソンは重要なので、しっかり走りたいです。

今は、スタミナからスピードに移行する時期です。これから駅伝がありますので。
2007年10月22日 (月) 
9月30日のベルリンマラソンで、34歳のゲブレシラシエ選手が2時間4分26秒の世界記録を出しました。
この歳で、この快挙は、身体はもちろん、メンタル的な部分がすごいと思いました。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


学生の頃は、学生の中だけを見て、競技をしていました。見ることができたとしても、実業団の選手までです。日本の中だけを見て陸上をしていました。

実業団に所属してからは、海外での合宿を経験しました。それからは、海外選手の動きも気にしながら、陸上に取り組めるようになりました。

1995年びわ湖毎日マラソンで2番に入る前の1994年から1995年、エクアドルとメキシコで合宿をしました。
試合で知り合った海外選手の家で合宿をさせてもらい、一緒に練習をしました。

海外の強い選手が、どうやって陸上に取り組んでいるのか、練習だけでなく、普段の生活はどんなことをしているのかすごく興味がありました。

日本の合宿は環境が整っています。
メキシコ合宿では、洗濯は手洗い、食事も自分で作っていました。

ある日、エクアドルの選手、ローランド・べラに練習メニューを聞いた時、「きついメニューだなあ、、、」と言いました。すると、彼から、「自分自身の為の練習だから、別にやらなくてもいいんだよ!俺は強くなりたいし、勝ちたいからやるけど、、、」と言われました。

ショックでした。
それまでの自分の練習に対する取り組みは、なんとなく練習をし、試合で良かった、悪かった、という程度で、べラと私とでは、マラソン競技に対する意識の違いが、プロとアマ程の差があるように感じられました。

もし海外へ行っていなければ、いつまでたってもこの差に気づかなかったかもしれません。
10年以上前の話になってしまいましたが、海外へ行かせて頂いたことに感謝しています。


■印象的なレースとこれから

一番のレースは、オリンピック出場が決定した試合。1996年の東京国際マラソン
です。1994年から1998年は、いろいろな事を体験でき、印象的な時期でした。

今も、状況は変わりましたが、陸上はおもしろいです。
先日の世界陸上でも、メキシコで一緒に練習した選手たちが、コーチとしてきていました。
マスターズで世界記録を持っているのも、知り合いのメキシコの選手です。

今年で39歳になりましたが、自然体でいきたいと思っています。
2007年10月19日 (金) 
ケニアの家族に、日本のことを話しました。

日本に来て驚いたのは“電車”です。速いからです。
というのも、ケニアでの移動手段は、“バス”か“自分の足”に限られます。
20km歩いて買い物に行くこともありました。

今ではうれしいことに、電車の乗換もできるようになりました。

それから、日本は大きい建物がたくさんあり、ゴミもなくきれいです。
人も多いし、高速道路が交差するなど、道もたくさんあります。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


小学校の頃、子どもたちだけで近くの町までテレビを見に行きました。
その時に、陸上の試合をテレビ中継していたのです。
小さかったので、誰が走っていたかは覚えていないのですが、私も走ろうって思いました。
それから走り続けています。

学生の頃は、その日の気分で練習していました。
今日は何をしようかな、と自分で考えます。
山に行きたいなと思えば、山へ走りに行きました。
15km走ったり、50分jogしたり、様々でした。

そして、疲れているなと思えば、走らずに寝ていました。

今はハイレベルのトレーニングをしています。
日本に来て、始めは大変でしたが、今は、プログラムにも慣れました。

自分の人生が変わりました。
走ることで、家族を助けることができるようになりました。


■印象的なレースとこれから

高校1年の頃から、ケニア代表になりたいという気持ちがありました。
外国に行きたかったからです。
“飛行機”に乗ってみたかったからです。

日本に来ることができたので、外国へ行き、飛行機に乗るという目標は達成しました。

今は、もっと上の目標ができました。
オリンピックに出場したいです。

とはいえ、簡単に出場できるわけがありません。
イメージだけ持って、厳しい練習をするしかないと思っています。
高い目標だけをもって、他のことは考えません。
故障したら困るので、冷静に、疲れをとりながらトレーニングしていきたいと思います。

そして、世界記録を出したいです。
2007年10月18日 (木) 
1年目は実業団という新しい世界に入ったので、大学までの結果等は考えず、まずは気持ちと頭をリセットして、実業団の1年間の流れや、レースなどを経験して、色々学んでいこうと考えていました。

でも、実業団は大学までとは違い、大会数やレース数が多く、全てのレースに体調を合わせるのは難しく、結果を残すことが全く出来ませんでした。経験だからと言って、やみくもに出るのではなく、自分でポイントとなるレースを決めて、そのレースに体調を持っていくために他のレースに出る、と言う様に自分で考えて出来れば良かったです。
しかし、1年目で色々なレースに出られて、経験出来たのは、これからに繋がると思います。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


大きく変わったことは、2つあります。
1つは、白水監督が、“やりたいようにやらせてくれる”ということです。
白水監督は、「同じことをやっても、同じ結果が出るとは限らない。人は人だ。自分のやり方を見つければいい」というのです。
なので、自分も自分の体で足で、最高の結果が残せるやり方を、考え方を見つけていきたいです。
もう1つは、結果を求められるようになったし、自分の中でも、結果を残さなくてはと、今まで以上に強く思う様になったことです。


■印象的なレースとこれから

社会人になってからは、自己ベストを狙ったレースでも全く走れていません。
完全に落ち込んでいる時でも、監督が冷静で尚かつ優しく、「よく粘ったな。目先の結果ばかりでなく、遠くを広い視野で見なさい」と、言ってくれます。そんな時、自分のためにやってはいるけど、監督に対して、本当に申し訳ない気持ちになるのと、自分自身に腹が立ったり、情けなくなったりします。
なので、みんな同じだとは思いますが、結果を出したいです。

これからとしては、速くなくていいので、常に安定して、どんな状況でも走れる強い選手になりたいです。
そして、マラソンに挑戦したいです。
2007年10月17日 (水) 
今年、日清食品陸上競技部に所属して2年目です。
3年計画の2年目は、練習を積めています。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


陸上を始めたのは、実業団に入ってからです。

小学校3年から高校まで、サッカーをしていました。
高校3年(1997年)の時、先生から出てみないかと誘われた県大会の予選が初レースとなりました。
サッカーの試合は冬がシーズンなので、秋に自分の走力を試してみたかったのです。
1500mに出場し、優勝しました。
そして、高校3年の2月、高知マラソンを走っているうちに、陸上をやろうって思いました。
次の日から実業団の練習に参加しました。

走るごとに自己ベスト、一番楽しかったです。
ゼロから始めたので、上しかありません。

走れば足が速くなるのが当然だと思っていました。
練習できるのも当たり前だと思っていました。
どこまで自分は強くなっていくのだろうと思っていました。
故障する人が不思議でした。普通に走っていたら故障しないはずと思っていました。

でも、アキレス腱の故障で、悩む時期が訪れました。

自分は嫌なヤツだったと思います。
周りを振り回してしまったと思います。
ほんとうに申し訳なく思います。
くどいくらいに自分のことを知らないとだめだと思いました。
どうしたら足が痛くならないのか、速く走れるかを考えました。

今は、折り合いをつけて、ブレーキをかけられるようになりました。


■印象的なレースとこれから

2005年の別大マラソンでゴールできなかったのが、ショックでした。
アキレス腱の故障も含め、軽く考えていました。
気持ちが切れてしまったこともあります。

でも、またやりたいと思ったのは、中途半端で終わりたくないからです。
それでも、陸上を続けているのは、オリンピックに出たいからです。
自分はまだまだ出来ると思うのです。
自信をもって、スタートラインに立つことができるよう準備したいです。

精神的にはまだまだです。自分の思っていることを伝えるのも下手です。
だから、日々、大切にしていきたいと思います。
高見澤やギタヒはコツコツと練習していました。
“きっちりコツコツと”今できることを1つ1つやっていきたいと思います。

スタートラインに立つために。
2007年10月15日 (月) 
2006年夏から2007年ニューイヤー駅伝前まで、今までで一番ダメな時期を過ごしました。走ろうと思っても走れないのです。やめるときってこんな感じかなあとも思いました。

考える時間がたくさんあり、もがきました。
今までで、こんなに休んだのは初めてでした。
そして、陸上は絶対続けよう、後悔しないようにしようと思いました。

この1年走れなくたってどうってことない、と考えることにしました。
それが良かったみたいです。
気持ちを楽にして走れるようになったら、ニューイヤー駅伝に出場することができました。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


高校では、陸上に対して消極的でしたが、大学から積極的に取り組むようになりました。
社会人になってから、特に変わったことはありません。

でも、マラソンをやるようになってから変わりました。

常にマラソンのことを考えてトレーニングするようになりました。
日々の生活の中でも、常に、これはマラソンのためにやっているんだとイメージするようになりました。

目標が明確なので、ちょっとしたことじゃ動じません。

目先のことを考えるのではなく、何で陸上をやっているのかと考えるようになりました。
陸上人生、どこにピークを持っていくかだと思うようになりました。


■印象的なレースとこれから

2001年に入社して、2007年ニューイヤー駅伝まで、昨年の東日本実業団駅伝を除くすべての駅伝(東日本実業団駅伝、ニューイヤー駅伝、朝日駅伝、十和田八幡平駅伝)に出場しました。

また、2006年の東京国際マラソンは、そのときの力をすべて出し切ったので、うれしい8位入賞でした。

でも、2007年の東京マラソンは、マラソン練習をしないで出場しました。練習は継続していたので、マラソンに対する距離の不安はありませんでしたが、そんな状態で走ったので、8位入賞でしたが、全然良くなかったです。走っている最中に足が痛くなりました。

これからですが、マラソンをやりたいです。
マラソンを走るには、やることがたくさんあります。

調整力はあると思います。
課題は、トレーニングがもっと出来るようになることです。
給水、走法、練習、誰が何をやっているか、ということも参考になります。

時間がありません。
ゆっくりしている暇はないのです。
ひとつずつ消化していこうと思います。

自分の陸上最大の目標は2012年のロンドンオリンピックです。
2007年10月14日 (日) 
「高校時代、練習で走っていたコースに、招待を受けて帰ってこられるとは思っていませんでした。

陸上を始めたこの場所で初心を思い出し、これからの陸上人生の糧になりました。

参加者のみなさんからパワーをもらい、今度は僕がみなさんに元気を与えれるような走りをしたいと思います。

この機会を与えていただいた矢巾町の関係者のみなさまにも感謝しています。ありがとうございました。(板山学)」

(写真提供:矢巾町体育協会)
2007年10月14日 (日) 
10月14日(日)、第10回矢巾町ロードレース大会(岩手県)が開催され、弊社陸上競技部 板山学がゲストランナーとして出場しました。

板山学は、小学生(3km)の部と10kmを走り、ゴール後も戻って後続のランナーを激励しました。

(写真提供:矢巾町体育協会)
2007年10月12日 (金) 
子どもの頃は、ラグビーをしていました。
小学校1年から始め、中学校3年まで続けました。

高校ではラグビーを続けるか、陸上を始めるかで迷いました。

中学校3年の時、陸上の県大会3000mで優勝しました。
そのレースを見ていた高校の監督に勧誘して頂いて陸上を選びました。

ラグビーをやっていたせいか、高校の頃はほとんど怪我をしませんでした。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


学生時代は、言われたことをやるだけでした。
ただやらされている感じでした。

とにかく自分の体調とは関係なしに与えられた練習メニューをやっていました。
だから、正直なところ、自分がなぜ試合で走れたのか、何で走れないのかがわかりませんでした。

今は、自分で自分の体のことを多少なりともわかって陸上をやっているつもりです。

とはいえ、入社した頃は何をやっていいのかわからず、しょっちゅう監督や先輩方にアドバイスを頂きました。
そうして、体と相談しながら練習するようになりました。

今は、陸上をやっていると実感できるので楽しいです。


■印象的なレースとこれから

入社してすごく納得できたレースがまだないので、マラソンでしっかり結果が残せるようにしたいです。

そのために調整力を身につけ、まずはマラソンで2時間10分を切り、そして日の丸をつけて走りたいです。
2007年10月11日 (木) 
● 番 組 名「ランナーズTV シーズン2」
● 放送日時
第1回 10月11日夜21時から21時30分
第2回 10月25日 同上
第3回 11月 8日 同上
第4回 11月22日 同上
第5回 12月 6日 同上
第6回 12月20日 同上
● 放 送 局 BSフジ
● 番組内容
上記番組内「トップランナー達の座談会」というコーナーで、諏訪利成が、谷川真理さん、千葉真子さんと対談したときの模様が、毎回2~3分放送される予定です。最終的には、DVD化される予定です。
2007年10月11日 (木) 
練習は嫌い、朝早く起きるのも嫌い、汗をかくのも嫌いです。
でも、走ってしまえば、そんなことは関係ありません。
走ることだけに集中します。これほど真剣になれるのは陸上だけです。


■陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、
 学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」


目標がよりはっきりしました。

大学の頃は、1年間を平坦に過ごしていました。
記録だけでいえば、常に29分台の力で走れる練習をしていました。

でも今は、どの試合に出場するかで、体を作っていきます。
もっと、ピンポイントで合わせていく練習をしています。

“合わせる”ことを覚えたのです。
これまでの経験から、合わせるためにすべきことが分かってきました。

① 自分の体調を偽りなく把握した上で、効率的な練習をすること。
② 試合で使うものには、自分に合うものを使うこと。
③ そして気持ちです。集中しているときは風邪もひきにくいのです。


■印象的なレースとこれから

走るのが楽しいと感じたのは、仲間といっしょに走った中学校3年の県大会です。
2番になり、関東駅伝に出場することができました。

そして一番印象的なレースは、一連の流れと考える3つのマラソンです。

アテネオリンピック選考会の「福岡国際マラソン」(2003年12月)では、自己ベストの2時間7分55秒で、2位入賞でした。

「アテネオリンピック」(2004年8月)はそのときに持っていた力を全部出し切り、6位に入賞することができました。

そして、スピードランナーが集結し、実質的な世界最速ランナーを決める「ロンドンマラソン」(2005年4月)でも、7位に入賞することができました。

世界の舞台で戦ったことは、自信となりました。
でも同時に、自分の小ささも思い知らされました。

そして迎えた世界陸上大阪大会(2007年8月)。
7位入賞ではありますが、練習中にはがれた爪の影響で踏ん張りがきかず、すべての力を出し切ることができませんでした。
あれだけきつい練習をし、順調に仕上がっていたので、悔やまれます。

でも、だからこそ、もっと強くなりたいと思いました。
世界のトップランナーたちと勝負し、マラソンランナー諏訪は強いと言われるようになりたいと思いました。

走れる限り走って、燃え尽きたいです。
2007年10月10日 (水) 

東日本実業団駅伝(11月11日)まであと1ヶ月、
元旦のニューイヤー駅伝までは3ヶ月を切りました。

このたび、チーム力で戦う駅伝に向けて、昨年に引き続き、
陸上競技部選手・スタッフの全員インタビューを行いました。

今回のテーマは、陸上競技を続け、陸上競技と向き合う中で、学生時代と比較して、「自分自身、何が変わったのか」です。

10月11日より順次、選手・スタッフの生の声をお届けしたいと思います。
どうぞご覧くださいますようお願い申し上げます。

*(写真)日清食品陸上競技部は、東日本実業団対抗駅伝競走 第43回大会(平成14年)、第47回大会(平成18年)の2回、優勝しました。
創立50周年を迎えた東日本実業団陸上競技連盟より、上記功績をたたえ表彰されました。
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