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Cross Talk 設楽悠太×村澤明伸 Cross Talk 設楽悠太×村澤明伸

エースと呼ばれて

村澤設楽くんと初めて同じレースで走ったのは、社会人になってからのニューイヤー駅伝 (2015年) だったかな。

設楽学生の頃はほとんど一緒に走ることがなかったと思います。社会人になってからは、駅伝でも日本選手権でも一緒に走る機会が多くなりました。話すようになったのも、僕が社会人になってからですよね。レース後に "どうだった?" って、村澤さんのほうから声をかけてくれるので、話しやすいです。高校の時から世界で戦っている姿を見てきたから、僕にとって村澤さんは陸上界のスター。その村澤さんと同じ舞台に立てるなんて、思ってもいませんでした。なので、駅伝でもトラックでも、同じスタートラインに立てるようになって、少しは近づけたのかなという気がします。

村澤うーん、現時点では追い抜かれた感じもするけど… (笑) 。ニューイヤー駅伝でもずいぶん負けてるし。

設楽僕が駅伝でエース区間を任せてもらったのは社会人になってからなんですが、実は「エース区間を走りたい」というこだわりはないんです。村澤さんはどうですか?

村澤そうだね…。 "エース" ということに関しては、僕もあまり深く考えたことはないかな。確かに駅伝はチームで戦うものだけど、根本的に陸上は個人競技だから。日清食品グループに入ってみると、チームメイトそれぞれでモチベーションも違えば目指すところも違っていて、むしろ「そうであってしかるべきだ」と思うようになった。だから、自分がチームのエースだ、という意識はあまりないね。

設楽僕も、周りからはエースと言われていますが、それほど意識してないですね。

村澤どちらかというと、 "エース" というのは、周りがそう見なすものだと思う。周りに "エース" と言われて、何も感じないわけではないけど、どこか他人事のように感じる時もあるよ。

設楽僕も同じですね。

村澤あくまでも僕の考えだけど、その時々で調子の良し悪しもあるから、周囲の評価と自分の状態とがいつも完璧に噛み合う訳ではない。周りの人たちからの評価だって、その時々で変わるものだしね。だから、期待に応えることはアスリートとして最低限の仕事だという思いがある一方で、周囲の声を気にして自分が振り回されるのは、あまり良くないとも考えてる。

設楽僕もそうですね。箱根駅伝では1回もエース区間を走れなかったのですが、社会人になって急に重要な区間を任されるようになっても、特にプレッシャーはなかったですね。正直、エース区間への憧れもなかったし、大学の時は速い人とはあまり走りたくなかったので…。

村澤そうなの !? (笑)

設楽ただ、大学3年の箱根では、3区に強い選手が集まっていて、その中で区間賞を獲ることができたのは自信になりました。大学4年の時にも区間賞を獲って優勝に貢献できたのは良かったと思っています。

村澤エース区間だろうと、何区だろうと、自分が走るレースの中で勝てればいいよね。

設楽はい。

村澤トラックやロードであれば、スタートがヨーイドンで一緒だから、強い選手がいると意識するけど、駅伝はどんな位置でタスキを受けるかでレースの走り方も変わってくるから、同じ区間に誰がいるかは気にしてられない。設楽くんの場合、一人でガンガンいっちゃう感じだと思うけど、駅伝に関しては自分の走りができればいいと僕も考えている。もちろん単独走でうまく走れることもあれば、同じ集団の選手をうまく使って走ることもあるけど、駅伝はトラックやロードと違って、絶対的な物差しというのがないから。

初マラソンの手応え

設楽僕は、去年のリオデジャネイロ・オリンピックが終わってから、マラソンを走ろうと思うようになりました。2020年に東京でオリンピックがあるからではなく、まずは2月の東京マラソンで勝負したいという気持ちがあって、初マラソンに挑みました。村澤さんは、いつ頃からマラソンを走ろうと考え始めたんですか?

村澤もともと、去年のリオデジャネイロ・オリンピックへの挑戦をもってトラックを一区切りしようと考えていたんだ。大学4年で長期故障をして、社会人になってからも少し故障があって…。少しずつ結果を出せるようになっては来ているけれど、自分の中ではくすぶっている感じがあった。これまでの陸上競技生活を振り返ってみると、中学の時は3000m、高校は5000mから都大路 (全国高校駅伝) 、大学では5000m、1万m、ハーフ、そして箱根駅伝と、その時々で必死になっていたレースがあったのを思い出したんだ。じゃあ、社会人になった今、自分が一番やりたいレースは何なのかと考えた時の答えが、マラソンだった。

設楽いつ頃から準備を始めたんですか?

村澤マラソンに出ると決めたのが去年の9月だから、その頃からだね。

設楽僕は、今年のニューイヤー駅伝が終わって3、4日間休んでから、少しずつ準備を始めました。練習は、1km 3分30秒のペースで30kmを走ったり、5km×4本というメニューだったり、そんなにペースは速くなかったですし、学生でもできる練習メニューだったと思います。実は、40km走は1回もやりませんでした。

村澤僕は、去年の9月から今年の9月までは、一般的なマラソントレーニングをやってみようと思って、今も取り組んでいる真っ最中。1年間やることで自分のスタイルが見えてくるんじゃないかな、と思っているから。なので、オーソドックスに40km走とかロングインターバルなどをやって、初マラソンに臨んだんだよ。

設楽村澤さんは、どういうレースプランでしたか? 僕の場合、東京マラソンでは3つあったペース設定のうち、2番目のペースメーカーに付いていけばいいと考えてました。

村澤僕も同じで、ペースメーカーが途中まで (1kmを) 3分ペースで走ることが最初から分かっていたので、それに付いていきつつどこまで行けるか、ということくらいしか考えていなかったな。トラックをやっていると、3分ペースは楽に感じるよね?

設楽そうですね。確かに、マラソンの3分は楽に感じました。ただ僕は、スローペースよりもハイペースでいったほうが、リズムもつかみやすいんです。守る走りはあまり好きではないので、自分の持ち味であるハイペースで押していく走りを意識していました。

村澤僕もそう。人の後ろを走ると、自分のリズムと合わないこともあるから。

設楽それもありますね。

村澤今思ったんだけど、僕と設楽くんはタイプが似ているのかもね。今は、まず1km 3分ペースで走り切ることを目指していて、そのペースだったらいつでも走れると思えるくらいにしていきたい。まあ、それが一番大変なことなのかもしれないけどね (笑) 。結局、僕の初マラソンは、35kmから大崩れしてしまったし、本当にゴールできるのか…なんて感じたくらいだった。でも、あまりマイナスには捉えていなくて、35kmまでだったら押していけるのが分かったし、あとの7kmをどうやって走ればいいのかという課題がはっきりしたから。次も同じような失敗をしてしまったら話にならないけど、ペースを維持して走れる距離を少しでも延ばしていきたいと考えてる。

設楽びわ湖 (毎日マラソン) は、ロンドン世界陸上の選考レースでもありましたが、頭の中にロンドンはあったんですか? 僕はもちろん狙っていました。

村澤走る前は、色気を出さないようにと思っていたので、走ることだけに集中していたんだけど、先頭集団がバラけて単独走になった時は、「これはロンドンもあるかな」と思った。でも、甘かったなあ…。走り終わった直後のダメージも大きくて、救急車で運ばれたほどだったからね (苦笑) 。ケガもあって6月の日本選手権は欠場したけど、現在はマラソン1本で考えている。ロードからトラックに移行するのではなく、マラソン練習をやっていく中で、1万mの自己ベストも出せれば…というイメージだね。

2020年に向けて

設楽村澤さんは高校時代から世界大会に出ていましたが、そういう経験は、どんなふうに競技に反映されていますか。

村澤うーん…はっきりとこれという形で反映されていることはないかもしれないなあ。どんなレースでも、勝負する相手がいることに変わりはないからね。ただ、相手のレベルが高ければ高いほど、モチベーションにはつながると思う。だから、社会人になってから日本代表になかなか選ばれてないので、正直もどかしさを感じている。もう一度、大きな舞台でも戦いたいという思いが強くなってきてる。実は、設楽くんのリオのレースは、結果しかチェックしていないんだ。自分が走っていないとつまらないし、他の人が走っているのを見るのはあまり好きじゃないから。

設楽一昨年の世界陸上と去年のオリンピックでは、トラックで勝てる気がしませんでした。それで、マラソンだったら少しは可能性があるのかな、と思ったんです。周りからは、2020年の東京オリンピックはどの種目で狙うのかと聞かれることが多いのですが、実のところそんなに先のことは考えてないんです。ケガをすることがあるかもしれないし、まずは1つひとつの試合で結果を残すことだけを考えてます。

村澤僕も、2020年は東京で開催されるけど、あまり「地元開催だから」といった特別な意識は持たないようにしている。オリンピックがスポーツ選手にとって夢の舞台なのは間違いないから、開催地がどこであっても、出たい大会であることに変わりはないしね。マラソン1本でいくと決めて取り組んでいるから、2020年のオリンピックではマラソンで日本代表として走りたいね。